あのオレンジの光の先へ

何気ない毎日を君色に

あなたは私の特別

愛とは。

 

1番やりたくないな、と思っていることをすること。またその対象のために一心不乱であること。大切な人を傷つけないこと__________。

 

しかし「愛」と「欲求」を勘違いしていたとしても応えることを自分の幸せにしている人にすれば

自分勝手な欲求もまた愛情表現なんだろうな

 

バランスが難しい。心と行動のバランスは皆同じではないから。私はその他人の乱れたバランスを静かに見つめながら生きるのが当たり前になった

 

でも引いているわけじゃない。自然に負けて勝つ方法を選んで、手を汚したい訳ではないけど人と同じことをしても勝てないことがわかっているから。表向きは協調性を重んじてしまうのは固い学生生活の習性が残っているのか自分で納得いかないことをするのは嫌いだ。なので自分とは違う感性で生きている人との距離って多分かなり取っている。そう考えるとみんなのこと好きじゃない。自分以外の人は本当は誰も受けつけていない。

なんでこんな風に生きれるのだろう?信じられない。誰にでもそんな風に壁を作って距離を置きまくって来たのかもしれない

 

そんな中で自分にとって大切な人、わがまま言える存在。自分をこの上なくわかってくれて愛してくれてると思い込んでいる人。それはやはり母親しかいない。配偶者にそれを求めた20代。求めたつもりが求められるだけの人生が待っていただけで、誰かのために生きている事も気づかないままそれを自分の幸せに転換してふわふわ生きてきたのかもしれない。

 

前世とか過去世とかの神話は好きな方だけどそこまで信じている訳じゃなくて、聞くとその神秘的な世界もありなのかな?と心が少し温かくなる。

 

もし愛している人の心臓が自分と同じ普通であるなら、その1つの心臓の音を聴こえる存在でいたい。人間には心臓の他に脳や神経もあって。感情を優先的にコントロールできるのは心ではない。脳が勝手に働く。神経が決まった流れで作動する。でも心臓は1コ。心の音は一定音を刻んで嘘がない現実を作り上げてゆく。私は大切な人のその音を聴きたい。自分の人生なんて何の意味があるのだろう。ちゃんと生きてもちゃんと生きれていない。

女にしかできない世界を描いたとしても私の心の中は同じ。間違いだったとは言わないけど。でも私を本当にわかってくれている人から見た私はきっと理解できないんだろう。

 

今世もまた手にできないか?それとも掴むのか。

それは私次第。私のこの先の流れを変えるのは私しかいない。私と大切な人の人生を作りだすキーパーソンは自分なんだと…それにも気づいている。今まで危ない橋なんか揺らして壊して渡れないようにしよ!って感じだったから。危ない橋の向こうに愛している人が手を広げて待ってくれているのに、びびって背中を向け続けて1人で安全に渡る方法を考え続けてていたら時間が過ぎた。

 

昔飼っていたワンちゃんが道路でクルマに跳ねられて内臓破裂で即死した。私は小学1年生。向こうに愛する彼女(同種のわんこ)が散歩してるのを見つけて車来てるのも気づかないで走った結果の悲劇だった。今年の春にも最後に愛する女性と過ごして桜の木の下で眠るように旅立った家族。私じゃない誰かに癒しを求める配偶者。みんなみんな自分の幸せを選んで生きることを大切にしてる。

 

私から温かい心がすり抜けていく……

いよいよ

 

崖の淵に立つ私は

どうやったら良いかの迷いはもうない

もう綺麗に生きるつもりも

 

どーせ全部捨てる気だったなら

心だけは素直になろうとおもう

 

心のブレーキを外さないと

きっと誰かを幸せにはできないのだから