あのオレンジの光の先へ

何気ない毎日を君色に

こんばんは。

 

ある映画を休日にみました。数年前に実際に起きた未曾有の事件を有名な役者さん4人が演じているのですが…予告で知った時からなんだか観ておかなきゃ駄目な気がして。この映画の内容に色々自分の意見を言うのは重すぎなのですが、この映画を見て思い浮かんだ自分の感情を少し。私の小学生時代の担任の先生が障害者のお友達との関わりを大切に教えてくれる方で実際触れ合ったことがあり…専門学校時代には障害を持つ施設へ実習にも行った。そこの先生方は非常に衛生士に対してどことなく厳しく、中途半端な気持ちで生徒達に関わらないで。というオーラ全開。給食の後の歯磨きだけしてくれたらいいから…と。危険な動きの生徒には気軽に近づかないようにと。話しかけて危害が加わる可能性(噛まれたりします)があるので!と。映画を見ながらあの時のことを私は思い出していました…。1つ忘れられない事は実習初日に私が書いたレポートを読んだ先生が大変失礼な事を書いている私に呆れていた事。「先生方もかなり手こずっていて…」と(笑)

最低な発言が最悪である事にも気づかない一生懸命な19歳の私。でも実習最後の日には「◯◯先生は(私の名前です)給食を誰よりも早く食べて生徒の歯磨きを洗面所で待ってくれていたことが嬉しかったです」と担任の先生に褒めてもらった。今でも覚えているくらいなので多分私の人生の辞書には記載されているのだろうな。今の職場にも障害ある方がいらっしゃってずっと猫ちゃん語だし猫なんです。ずっと。だからわたしも疲れていない日は猫語で話す。けど疲れている日は猫語で話されても普通に返すの。でもそーいう感じで障害ある方に特別感情を抱く事すらなんだか差別してる気もしてなんかフツーに接しています。何も変わらないんです。生活の流れは同じではなくても、心は同じ。映画の話からそれてしまったけれど、その映画の中では「心」というワードがずっと出てくる。こーいう話ってとても難しいし綺麗事はいくらでも言えるけど、本心ってみんなみんな言わないから。心がない。と感じる相手に対して人はやはり悲しみや不甲斐なさみたいなのを持つ。なんだか少し違うかもしれないけど、クモ膜下の後遺症で高次機能障害になった叔母なんかもそう。私をこどもの頃からずっと母親の様に愛して育ててくれた優しくて強くて綺麗で全て憧れていた存在だったのに今は施設でずっと生きている。記憶がほぼないし、会いに行っても全く話が合わない。倒れた当初はみんな悲しがって面会来てくれたのに今は誰も寄っていかない。

私もそう。思い出した様にたまに顔見に行くけれどすぐ帰る。帰る時は来週も絶対に来ようって思うのに絶対に行かない。20万以上のお金払って介護サービス受けている事に甘えきっているだけじゃなく、私はもう自分の感情も何もかもめんどくさいのです。まだまだ叔母は若いからこの先もまだまだ長生きする。毎月20万の施設代の資金もいつかは底を尽きる。今、叔母を引き取って家で介護できるか?といえばできない。毎日毎日排泄の世話して優しく話しかけれるか?と聞かれたら絶対答えは決まってる。あんなに愛情いっぱいでお世話になったのに。普通に会話できない家族と話す事は想像以上にエネルギーもいるし聞きたくない事情も知ることになる。老いても女であり男であり。私は耐えれなくて逃げてしまった。できる事もしていない。本当のお別れが来たら後悔するのだろうか?それすらわからない。ならば…愛しているからできるのかも今はちょっと想像したくない。実母の様に1日で消える様に逝きたい。叔母は今あの状態で生きてて幸せなんだろうか。あの時、必死に助けて頂いた意味を神様に感謝して私は生きてきたのに。あの日望みが叶わず叔母が亡くなっていたら?後悔も苦痛も激しかったとしても、今はきっと普通に幸せ見つけて生きているに決まっている。本人が長年頑張って貯めた老後のゴルフの資金も全て自分の介護サービスに消えていく日々。突然消えた実母の悲しみでさえ過去になるのに…。なぜ人間は死のタイミングを選ぶ権利がないのだろう。映画のワンシーンで「東日本大震災の事なんか今はみんな忘れていて、あれは真実なのかも分からなくなってしまっている」という台詞がある。その言葉がずっしりと心に深く残った。人間はこんな風に見たくない事は避けてほんとの事も言わずに時が過ぎていくのを待つ。それが懸命ならば、みんな知っててそうしてる。言わない方がいい事や実行しない方がいい事に巻き込まれながらこれからもこの世で生き抜いていくしかないのだ。

 

そんな地球でこの先

自分は誰と生きるか?

それか誰とも生きないのか…。

 

私の人生はまだ決まってはいない。